寄附を受けることで収賄罪が成立する場合があるのでしょうか。収賄罪とは何ですか。政治献金との境界線はどこにあるのでしょうか。

〔この記事のまとめ〕

賄賂とは、特定の仕事をしてもらったり、具体的な見返りを期待して渡すお金のことを意味します。一方、政治献金とは、議員の政治活動全般に対して、期待や支援を込めて渡すお金のことを指します。賄賂として渡せば収賄罪が成立する可能性があります。

〔本文〕

政治資金規正法という法律では、政治団体が、有権者から寄附(政治献金)をもらうことが許容されています。しかしながら、政治献金という形でお金をもらっていることが、「賄賂ではないか」としてニュースになったり、はたまた逮捕に至ることがあります。

そこで、そもそも賄賂とは何か、政治献金とは何が違うのかを考えてみたいと思います。

冒頭で述べたように、政治資金規正法という法律は、政治団体が有権者から寄附をもらうことを許容しています。国会議員であれば、〇〇後援会といった政治団体を管理していたり、〇〇政党東京第〇〇支部というように、政党支部の政治団体を管理している場合がありますが、〇〇後援会という政治団体は、有権者から寄附(お金)を受け取ることができます。一方、会社や労働組合からは、〇〇後援会という団体では寄附(お金)をもらえないので、〇〇政党東京第〇〇支部という団体で寄附(お金)をもらうことになります。そして、政治家個人が、政治活動を応援してもらうための寄附(お金)を受け取ることは禁止されています。

そして、寄附を受け取ったら、それを政治資金収支報告書に記載しなければなりません。

これが政治資金規正法という法律に定められたルールです。

ところが、この法律とは別に、日本には「刑法」という法律があり、そこでは様々な犯罪が定められています。その一つが「収賄」です。収賄にはいろんな形がありますが、一番基本となるのは「単純収賄罪」と呼ばれるもので、公務員(ここには議員も含まれます)が、仕事の対価として利益を受け取った場合に成立する犯罪をいいます。

刑法という法律では、「単純収賄罪」について下記のように規定しています。

「公務員が、その職務に関し、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、五年以下の懲役に処する。」(197条1項前段)

この書きぶりでは、公務員が仕事に関してお金をもらった場合には、すべからく犯罪が成立するようにみえます。しかし、一方で、政治資金規正法では、政治献金としてお金をもらうことが許されているので、その関係が気にかかるところです。

その答えは、「賄賂」としてお金をもらっていた場合には、収賄罪になりえますし、一方で、「賄賂」ではなく、ただの政治献金としてお金をもらっていた場合には、収賄罪は成立しないということになります。実際にこれまで収賄をしたと疑われて、裁判に起訴された議員の多くが「これは政治献金としてもらったのだ。賄賂ではない」と法廷で述べ、収賄を否定し、無罪を主張してきました。

そうすると、次の疑問は、どのようなお金だと「賄賂」であり、どのようなお金だと「政治献金」になるのか、ということです。

少し古い最高裁判所の事件ですが、昭和63年4月11日に言い渡された判決が参考になります(刑集42巻4号419頁)。

これは、事件が起きた当時(昭和40年ごろ)、自動車の燃料としてガソリンではなく、LPG(石油ガス)が注目され、LPGに対して税金をかけようとする法案成立が検討されていました。そこで、大手のタクシー会社社長である被告人が、このまま法律が成立してしまっては、多額の税金を払うことになると思い、大蔵委員会などに全く関与していない国会議員A及びBに対して「100万円を渡しますので、大蔵委員会に所属する他の議員に対して、法案に反対するよう説得してください」と頼んで各100万円を渡したという事件です。

この事件の二審は(大阪高等裁判所昭和58年2月10日刑事裁判月報15巻1・2号1頁)、「政治献金とは、もともとは、政治家の政治的手腕やその人格識見に信頼を寄せる者が、自己の政治的理念や主張の実現をその人に託する意図で拠出するものであつて、このような献金者の利害に関係のない、いわば浄財的な資金の贈与が賄賂にあたらないことはもちろんであるが、政治献金がなんらかのかたちでの利益の見返りを期待してなされるという現状にかんがみると、献金者の利益を目的とする場合でも、献金者の利益にかなう政治活動を一般的に期待してなされたと認められる限り、その資金の贈与は、政治家が公務員として有する職務権限の行使に関する行為と対価関係に立たないものとして、賄賂性は否定されることになると思われる。しかしながら、上記の場合とは異なり、資金の贈与が、政治家が公務員として有する職務権限の行使に関する行為と対価関係に立つと認められる場合、換言すれば、職務権限の行使に関して具体的な利益を期待する趣旨のものと認められる場合においては、上記の政治献金の本来の性格、贈収賄罪の立法趣旨ないし保護法益に照らし、その資金の賄賂性は肯定されることになると解すべきである」としています。

この判断を最高裁が是認したのかどうかは判決からは明らかではありませんが、最高裁は「(被告人)衆議院議員として法律案の発議、審議、表決等をなす職務に従事していたA、Bの両名に対し、単に被告人らの利益にかなう政治活動を一般的に期待するにとどまらず」お金を渡したと認定しているので、高等裁判所の判断とは親和性があるように思います。

要は、これらをまとめると、賄賂とは、特定の仕事をしてもらったり、具体的な見返りを期待して渡すお金のことをいうことになるでしょう。一方で、政治献金とは、そうではなく、その議員の政治活動全般に対して、期待や支援を込めて渡すお金のことをいうことになると思います。

そして、ケースごとの具体的な状況下ごとに、お金を渡した趣旨が賄賂として渡したのか、政治献金として渡したのかを検討して、賄賂として渡したのか、政治献金として渡したのかを認定することになるわけです。

例えば、もしも、お金を渡す際に銀行振り込みではなく、誰もいないところで封筒に入れて現金で渡していたとしたら、それだけで渡す側も受け取る側もそのお金の意味(趣旨)について、後ろ暗いところを含んでいたことになります。それは政治献金というよりも、賄賂という趣旨が含まれていたという判断に傾きやすくなるでしょう。

また、もしもお金を渡してから、その翌日に、お金を渡した側が期待するような行動を、受け取った議員が採っていたら、渡したお金の趣旨も一定の見返りが含まれていたとみるのが自然でしょう。

さらには、渡す際に「例の件、お願いしますよ」等といって渡していたら、それも賄賂であることを指し示す事情になります。

ほかにも、(政治献金をするということ自体で何かしらの利益を期待しているとはいえますが)お金を渡すことで、もっと直接的、具体的に、ベネフィットや利益を受けるような状況があれば、それも賄賂性を基礎付ける一つの要素になりましょう。

一方、議員に、毎年決まった月に100万円を寄附していた場合で、たまたまある年の寄附が「賄賂ではないか」と疑われたとしても、贈与者としては「毎年、議員の活動を支援するために渡しているのだから、賄賂ではない。特定の見返りなど期待していない」という言い分が通りやすくなります。 このように政治献金という趣旨でお金を渡したのか、賄賂という趣旨で渡したのかというのは極めて曖昧ではありますが、裁判の実務では、渡した時の状況、(お金を渡すことで)何かしら具体的直接的な利益を得る状況にあったのか、渡したときにどんな言葉を交わしたのか、その後の当事者たちはどのような行動を取ったのかといった周辺の事情から、お金を渡した趣旨を推理(推認)することになります。

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